奇跡に込めた意味…塩見要次郎(当時運動部)/アトランタ五輪(1996年)


主審の長い笛が鳴り、「マイアミの奇跡」が現実となったのは、米国東部時間の7月21日午後8時20分。五輪の舞台に戻って来たことさえ28年ぶりの日本が、今大会最強と言われるブラジルを破った――。

 これが、20年前、私が書いた男子サッカー、日本―ブラジル戦の記事の書き出しだ。

 「マイアミの奇跡」という表現について、当時、ある後輩記者から「塩見さん、二匹目のどじょうはいませんよ」と、言われた。

 確かに、1993年10月に私がカタールで書いた、ワールドカップ(W杯)米国大会アジア地区最終予選での「ドーハの悲劇」ほどには、世の中に広まらなかったが、「マイアミの奇跡」も、それなりに言葉として生き続けている。

 「ドーハの悲劇」という言葉に関しては、「あれが悲劇なものか、日本代表のサッカー戦術がつたなすぎただけ」――などという声もある。確かに、当時の日本サッカーはレベルが高くなかった。批判も一理ある。

 「マイアミの奇跡」は、どうか?

 私は、あのときの記事の中で、MF伊東の決勝点に関しては、「まさに、幸運なゴール」と書いた。勝因に関しては、GK川口の「奇跡的なセーブ」を挙げた。

 サッカーにおいては、ごくまれに試合内容で全く劣勢なチームが勝つ場合がある。私の長いサッカー記者人生で、この試合のような不思議な結果を取材した経験は、あと1試合しかない。

 辞書を引くと、奇跡の意味は「常識では起こるとは考えられないような、不思議な出来事」と、ある。

 アトランタ五輪のマイアミ会場で私が見た試合は、まさに不思議な出来事で、日本の力がブラジルを上回ったわけではなかった。この五輪で、日本は結局、グループリーグで敗退し、ブラジルは銅メダルを獲得した。(現職=編集局専任部長)

【アーカイブ】日本サッカー 歴史的「大金星」

1996年7月22日付読売新聞夕刊から

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